MORITA INDUSTRIES INC | モリタ工業株式会社

KAWAGUCHI HISTORY

江戸へ続く街

川口は江戸と交流があった街です。川口市本町と北区岩渕町(きたく いわぶちちょう)をつなぐ新荒川大橋の近くに、鎌倉橋記念緑地という小さな公園があります。ここに、「鎌倉橋の碑」という石碑が残されています。昭和13年頃まで荒川の河川敷に実在した、鎌倉橋と呼ばれる土でできた橋の史跡です※14。源義経(みなもとのよしつね)が兄頼朝(あによりとも)に馳せ参じる際に川口で部隊を整列させた、と義経記(ぎけいき)※15でも記されていることから、奥州から鎌倉へ向かう古鎌倉街道(こかまくらかいどう)に沿って川口宿が位置していたと考えられています。

※14 参考:我がまち川口・再発見(川口市広報課、平成20年1月)

※15 義経記:室町時代前期に成立と推定される作者不詳の軍記物語

古鎌倉街道はその後、徳川家の歴代将軍家が日光東照宮へ社参するための専用道路、日光御成道(にっこうおなりみち)として整備されました。日光御成道は、現在の本郷追分(東京都文京区)に始まり、川口宿、鳩ヶ谷宿を通って幸手追分(埼玉県幸手市)まで続く48kmの街道です。この道中にあった岩淵宿と川口宿は荒川を挟んで向かい合っており、二つの宿場が交代で役目を果たし、また両宿場を船で結ぶ「川口の渡し」もあったといいます。

荒川の河川敷に建つ善光寺(ぜんこうじ)は、長野の信濃善光寺、山梨の甲府善光寺とともに三大善光寺に数えられる由緒あるお寺です。江戸の庶民が物見遊山を兼ねてお寺参りに出かけたことが伝えられています。参道に露店や見世物小屋が立ち並ぶ賑わいだったとして、遊歴雑記(ゆうれきざっき)※16にもこの様子が取り上げられています。

※16 遊歴雑記:江戸時代後期、江戸小石川に住む十方庵敬順が書いた書物

現代では国道122号線と新荒川大橋が整備され、また、JR京浜東北線によって東京駅と東北方面が鉄道でつながっています。川口駅は、東京駅まで電車で約30分の好立地にあり、ベッドタウンとして年々人気が高まっています。時代が変わっても江戸と奥州を結ぶ玄関口であることに変わりなく、川口市ではこうした歴史を大切にして、「川口宿 鳩ヶ谷宿 日光御成道まつり」を秋に開催しており、当社もこのお祭りに協賛しています。

一部の写真出典:目で見る 川口・鳩ヶ谷蕨市の100年(2003年/郷土出版社)

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