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江戸へ続く街

川口市の歴史(3)

川口は古くから江戸と交流があった街です。川口市本町と北区岩渕町(きたく いわぶちちょう)をつなぐ新荒川大橋の近くに、鎌倉橋記念緑地(川口市本町1‐8)という小さな公園があり、「鎌倉橋の碑」という石碑が残されています。昭和13年頃まで荒川の河川敷に実在した、土で作られた橋の史跡です※1。義経記(ぎけいき)※2でも「源義経が兄・頼朝に馳せ参じる際に川口で部隊を整列させた」と記されていることから、川口宿は中世の鎌倉街道中道(かまくらかいどうなかみち)に沿って栄えた集落で、当時からこの地が鎌倉や江戸からみた「奥州への要所」※3であったと考えられています※4。

※1 参考:我がまち川口・再発見(川口市広報課、平成20年1月)

※2 義経記:室町時代前期に成立と推定される作者不詳の軍記物語

※3 奥州:おうしゅう。現在の福島・宮城・岩手・青森の4県と秋田県の一部

※4 参考:日光御成道と鎌倉街道(鎌倉橋記念緑地 案内板)

鎌倉街道中道はその後、徳川家の歴代将軍家が日光東照宮へ社参するための専用道路、日光御成道(にっこうおなりみち)として整備されました。日光御成道は、現在の本郷追分(東京都文京区)に始まり、川口宿、鳩ヶ谷宿を通って幸手追分(埼玉県幸手市)まで続く48kmの街道です※1。この道中にあった岩淵宿と川口宿は荒川を挟んで向かい合っており、二つの宿場が交代で役目を果たし、また両宿場を船で結ぶ「川口の渡し(岩淵の渡し)」もあったといいます※2。

※1 参考:日光御成道とは(川口宿 鳩ヶ谷宿 日光御成道まつり実行委員会)

※2 参考:【赤羽】名所江戸百景 川口のわたし善光寺 (北区飛鳥山博物館、2020年5月15日閲覧)

川口の渡しがあったとされる現在の市立南中学校(川口市舟戸町2-3)の西側に、河川敷の中に建つ珍しいお寺「善光寺(ぜんこうじ)」(川口市舟戸町1−29)があります。スーパー堤防工事のために堤防上の仮の本堂となっていますが(2020年現在)、住職さんの話によれば本堂は昔から荒川の河原にあり(洪水に備え高床式で建造されていた)、近代になって後ろに堤防が建設された結果、河川敷に建つお寺となったそうです。

長野の信濃善光寺、山梨の甲府善光寺とともに三大善光寺に数えられる由緒あるお寺です。江戸の庶民が物見遊山を兼ねてお寺参りに出かけたことが伝えられており、参道に露店や見世物小屋が立ち並ぶ賑わいだったとして、遊歴雑記(ゆうれきざっき)※にもその様子が取り上げられています。

※ 遊歴雑記:江戸時代後期、江戸小石川に住む十方庵敬順が書いた書物

現代では国道122号線と新荒川大橋が整備され、JR京浜東北線によって東京駅と東北方面が鉄道でつながり、また高速道路をみれば首都高・東北道・外環道にアクセスできます。これらの交通網が整備されてきたことは、中世の鎌倉街道時代から続く川口の地理的な位置づけ、つまりは奥州への要所であることと、大いに関係があるはずです。

川口駅から東京駅までは電車で約30分。ベッドタウンとして高い人気がありますし、都内と東北方面の両方へアクセスしやすいため事業用地としても使いやすい。時代が変わっても江戸から奥州への要所であることに変わりはなく、川口市ではこうした歴史を大切にして、「川口宿 鳩ヶ谷宿 日光御成道まつり」を秋に開催しており、当社もこのお祭りに協賛しています。

ご紹介した川口の歴史にご興味をお持ちになられた方は、ぜひ川口市役所産業振興課が制作した秀逸な「観光ルートマップ」もご覧ください。江戸庶民が川口へ物見遊山へ来たように、小旅行として街歩きをするには最適です。ご紹介しきれませんが、事業所が多いからでしょうか、外食産業も盛んで和洋を問わず素晴らしい食べ処がたくさんあります。

写真出典:「目で見る 川口・鳩ヶ谷蕨市の100年」(2003年/郷土出版社)

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